死が遠くなった社会が迎えていること

2022年1月27日夜、「ふじみ野市医師立てこもり人質事件」が起きてしまった。非常に無念なことに、地域医療に奮闘していた医師は猟銃で犯人に射殺されるという事件となった。

事件の詳細はたくさんの記事があるので、そちらに任せるとして、ここでは、その事件の背景を自身の体験から推察してみます。

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「死なない」が目的になった・・・

表題にもありますが、日本は「死なない」ことが目的になっている場面が多々あります。というか、日本ではなく、中国や韓国にも共通するのですが、「死=悪」という文化、「死」をタブー視する文化、これは恐らく東アジア独特の文化、である感じがします。(完全に主観です。ソースも特にありません。感覚的です。)

日本も高度経済期前は、死は割と身近であったようです。病院が今のように発達していませんから、自宅で亡くなる高齢者はもちろん、子供の死亡率も今より高かったです。なので、今よりは身近であったことは容易に推察できます。

今回の犯人は66歳です。物心がついた頃には死は身近なものではなく、病院で起きることになっていたと思います。そのため、初めての死が自分の最も身近な存在である場合、それを受け入れることができず、また、現代医療が万能であるという先入観もあり、「死なない」ことを周りに求めるのだと思います。

こういう考えの人、恐らく増えていくのだろうな、、、と思っています。私は介護の世界に約15年いましたので、看取り介護なども行いましたので、死は現実的な仕事の対応として身近でありましたが、現代生活の中で死を感じられる場面はほとんどありません。死に立ち会うこともほとんどないでしょう。

でも、死は確実に全員に訪れます。本来はめちゃくちゃ身近なはずです。ですが、死は一部の職種が独占する状態になっていき、いつの間にか「死なない」ことは一般社会で生活を営む人の大部分で当然となり、現在に至っているのだと思います。

それでも祖父母や恩師・友人が死ねば、死を身近なものとして迎える場面は、ほとんどの方に訪れます。でも、まともな社会生活を送れていない方もいます。そういった方は親しい人の死に触れぬまま、突然唯一の救いのような人物の死に直面し、動揺・錯乱し、冷静ではない判断をしていくのだろうと想像しています。

このようなことが2度と起きぬためにも、現状は死は避けて通れないものであることを社会が受け入れる必要があるのですが、今回の日本(中国と韓国も)のコロナ対応をみていると、多くの人は「生きること」よりも「死なないこと」を優先しているのだろうと思います。なので、似たような事件は今後も起きてしまうのだろうと想像しています。

社会で「死」を啓蒙すること

犯人の凶行は決して許されるものではありません。厳しい処罰を受け、その次に繋がらない抑止になって欲しいと思います。一方で、今後こういった「社会からこぼれてしまった人々」の対応についても個人レベルで対応を考えていかないといけない時代になっているのだなと感じます。

今回凶行で失われた医師は、本当に立派な人格者で優しく責任感のある方であったと思います。だから、こぼれた人でも膝を付き合わせて対応してしまった。今後このようなことが起きない社会を目指すためにも、現場最前線の善意や責任感に事態を押し付ける現行の制度を根本から見直して欲しいと思っています。

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「サポレコ」管理者

介護業界に現場目線でICT化を推進するために2021年3月起業し、介護記録WEBアプリ「サポレコ」を運用しています。このページでは介護のことやICTのことについてラフな感じで記しています。

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