「不便益」という言葉をご存知でしょうか?不便であったからこそ、副産物的に良いことが起こる、ということです。
京都先端科学大学の川上浩司教授が提唱するデザイン指針です。(詳しくは http://fuben-eki.jp/ を参照)
不便益を活用する
これはまさに私が思う「介護記録がIT化する過程で失ってしまったもの」そのものなのですが、若い人ほどこの「不便益」を求める傾向にあるそうです。
なんでも効率化・生産性を高めることが「正義」という昨今の傾向ですが、そのせいで失われる「不便益」があり、それはいわば「生きるための能力を削いでしまうこと」であるため、若者は本能的に不便益を求めるのかと思います。
無印良品のサイトである( https://www.muji.net/lab/living/211117.html?fbclid=IwAR0ckj89aXwcXKzUQHZq_U4QaErR4YrN6cCpg1IeO1J8j1fjOuvX7vbOkwY )には、バリアフリーの不便益が丁寧に解説されています。
他、ネット通販ではなく、あえておもちゃ屋に行き、対面でやり取りして商品を受け取るなども良い例でしょう。
介護記録の効率化は「それに関わる時間をいかに短くするか?」を軸に発展し、結果、テンプレート選択や一括登録などになっていきました。しかし、テンプレートの文章や数値だけの記録(=選択肢を選ぶ記録)は、時間は短縮されますが、失われる「不便益」があまりにも大きいです。
「木」ばかり見て「森」を見ないと、悪い方向に行きやすい?
何度もブログにも書いてますが「自らの言葉で体験を記す」という行為は、その人のコミュニケーションスキルを上げるための訓練になります。他、その具体的な唯一無二の記録を見ることで、その人の思考や不足している部分が見えてきます。
今の介護記録のIT化については、介護記録に関わることは「効率化」されたけど、施設運営全般では「非効率化された」なんてことになってしまっているのではないか?と考えています(現に実体験でそれを強烈に感じています。)
人が成長するためには、この「不便益」は欠かすことのできない概念だと思います。
もちろん「もう成長は必要ない。言われたことだけをただやるだけで良いです。」という考えの方は別ですが、、、。でも、成長は止まると、その状態が維持されるのではなく退化していくということは、普遍の真理であることは知った上で考えて欲しいです。
*下図は「介護記録」と「不便益」の関係性を独自に記した表になります。